何者にもなれなかった自分について

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  • Yoshiko Ichikawa
  • Productivity
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退職して1年が経った。

在職中、あれだけ自由にプログラミングできる時間に恋焦がれていたのだが、いざ時間が出来てしまうとダラダラしてしまう。 本当に自分はダメな奴だなと思う。

知人のスタートアップのシステム作成のお手伝いと少しのiOSアプリを公開しただけだった。

世の中には仕事をしながら時間が欲しくて欲しくて堪らなく、少しの時間を個人の勉強や開発に充てている人もいる中で、自分は無駄に時間を浪費しているだけだ。

ネット上でキラキラと情報発信しているエンジニア達のように自分も何かモノを作りつづけて発信できるかのように感じていた。

自分はプログラミングが好きだと思っていた。仕事ではなく自分がしたいことだけのプログラミングだと1日中でも書いてられると思っていたが、そうではなかったらしい。

作りたいもののアイデアはあってもリリースまで集中力が続かない。飽きっぽいというか継続するという力が絶対的に足りないのだろう。会社員時代は品質に満足いくものではなかったものの、ある程度の規模のシステムをローンチしていた。

といっても、会社員に戻ろうという気も今はあまりない。こういうところも自分のダメなところだ。

会社員時代、エンジニアとして結果が残せなかったのは人のせいだと思っている。自分に能力がなかったことも認めるが人のせいにすることで「運が悪かった。」や、「俺は悪くない。よくやった。」などと自身を正当化して生きている。ドブさらいのように攫っても攫ってもゴミを攫い続けていたつもりだ。そして当時、心が壊れた。

20歳の頃、自分は何者かになる人間なんだろうと勝手に思っていた。金もない、人付き合いも苦手、親のスネをかじっていた自分が到底努力とはいえない努力をし、世の中の不条理や純朴な人間が成功するような美談を説けば、何者かになれると思っていた。思えばあの頃が一番充実した時間だったのかもしれない。

ただ、それでも、こんな自分でも変わったことがあった。当時あれだけ憧れた何者かになることを諦めていたことだ。

退職後すぐにあの頃住んでいた町に訪れた。変わったところ、当時と変わらないままのところ。

この町が何者にもなれなかった自分の原点だったんだろう。

#「迷い」と「決断」

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