何を言ったかより誰が言ったかを読むインターネット時代


インターネットが身近になり、それを利用できるデバイスも個人が簡単に使用できるようになって、誰でも発信、発言できるような時代になった。


特にSNS上の発信はすごくて、政治経済、思想の話題以外にも、日々の楽しい話題や勉強になる話題、またはあるあるのような日常風刺を言語化して発信している。

僕たちは好みの合う発信者をフォローし、その発言に対して相槌をうったり、または論評をすればよい。


思えば、インターネットがない時代は情報収集の方法が限られていて、以前は何かの情勢情報を仕入れるには、本を読むか新聞、雑誌を読むかテレビを見るかの時代だった。あとは近い周りの人間からの口コミとかかな。

こう考えるとテレビの影響はすごかったな。ブラウン管から映し出される情報で大きく世論が動いていたと思うし、テレビのコメンテーターが世論の代弁者のような気になってた。90年代中頃あたりはニュースキャスターが読み上げる原稿にうんうん頷いていたり、たまには憤慨したこともあったりもした。

口コミも馬鹿にならなかったよね。子供時代、興味のある情報すべて学友の口コミから仕入れたものだったような覚えがある(笑)

そう。昔は情報の流通元が限られていたので、誰が発信しているかを気にせず何を言ってるかを読む必要があった。


インターネット時代、何を言ったかの情報はもちろん大事にしているんだけど、誰が言ったかを先に読むようになった。


SNSから流れてくる情報は大量で、情報の質を選別するには誰が言ってるかで選別する必要が僕にはあった。

高名な人物なのか。影響力がある人なのか。人気や実力がある人なのか。自分と主義主張があう人の発言なのか。

特に僕の中でネット上の影響力って重大で僕の中で「この人が言ってるから大丈夫」的な思考停止に陥ることがあるし、もし同種の発言をした人が無名な人だったとしたら、読まずにスルーするしているだろう。


SNS上の「誰かの発信」のコメントなんか見てると僕に近い人達、所謂「取り巻き」みたいな雰囲気の人は結構いるように感じるんだよね。


僕は誰でも言論できるこの時代は本当に素敵な時代だなと思っている。主義主張が絶対に折り合わない人や発言を見るのも不愉快な人も中にはいるけど、そういう人には関わらなければいいだけだ。


ただ、僕自身、以前より情報に対しての「何を」を純粋に読むより、「誰が」発信したかを追いかけてるんじゃないのかなあ。ともやっと思った話し。